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うつくしが丘の不幸の家【本の感想】

 

本の紹介

著者 町田そのこ

東京創元社

刊行 2019年

うつくしが丘という住宅地にある一軒の家の話。その家は何故か不幸の家と呼ばれている。

 

本の感想

の家は「不幸の家と呼ばれている」と、おばさんに言われて気落ちしてしまう1章の主人公。なぜ不幸の家と呼ばれているのか、それを知るためにお隣さんに尋ねるところから話は始まる。不幸の家の隣に住んでいるお婆さんは、長くそこに住んでいるようなので自ずと不幸の家の家庭環境などは少し知っていることになる。

2章以降はかつてそこに住んでいた人たちの話になるのだが、全体を通して不幸から始まりそれを克服していくための物語という印象が見受けられた。読み進めていくと、イライラしてきてしまう感情が揺さぶられるシーンが多かった。特に男性と女性での価値観の違いや、長男だから大事に育てられた結果全て自分が正しいマザコン男など実際に日常で溢れているだろうイライラシーンが多く描かれていた。

 

中読むのも億劫になってきたが、第4章の夢喰いの家ではその気持ちも一気になくなった。男性不妊に悩まされる男女の話だが、男性側が女性を大切に思っている気持ちが全面に出されていて読んでいて不快にならなかった。そこで初めてお隣のお婆さんのお話なんかも出てきて、そこが本の中での一番のピークだと思った。不妊に悩む男性とお婆さんが話していて、確かにそうとも言えるかもしれないと思った言葉があった。

 

「山郷さん。わたしね、夢ってとても乱暴な言葉だと思うの」

引用 うつくしが丘の不幸の家 (創元文芸文庫)  

第4章 196頁

 

 

お婆さんはその後にこう続ける。

 

「一種の暴力、そう思ってわたしは生きてきたのよ」

言いかえれば我儘なのに、きれいな言い方をしてるだけ。

引用 うつくしが丘の不幸の家 (創元文芸文庫)  

第4章 196頁

 

確かにそうだ。子供の頃にみていた夢と大人になって語る夢では全く違う。大人になって夢を通そうとするのは我儘と変わらない。それが他人を巻き込んでいるのなら尚更。結果お婆さんも夢を通した過去があってこういう会話になるのだが、そこはぜひ読んでみてほしい。私たち大人が夢をみなくなっていくのは、世の中は我儘が通じないと気づいてしまうからではないだろうかとわたしは思った。ある意味夢をみられる状況は幸せの形の一つなのかもしれない。

 

れいな言葉に言い換えるという発想はなかったので、このセリフだけでもこの本を読んで良かったと思えた。

中盤までは結構きついけれど超えてしまえば面白い展開が待っているので、ぜひ最後まで読むことをお勧めしたい。過去に遡っていく形式なので、1章を読んで最後の章から逆に読み進めてもいいかもしれない。特別な不幸ではなく私たちの周りに普段からある不幸を描いた一冊だと思った。それゆえに感情移入しやすいし結構心が抉られる場面もある。幸せの形も不幸の形も人によって違うと今一度思い出させてくれる作品だった。